コロナ禍での自粛生活が続く中、
幾度となく訪れた場所。
父と母が眠るお寺「光明寺」さん
2/14 墓参りドライブ
コロナ禍での自粛生活が続く中、
幾度となく訪れた場所。
父と母が眠るお寺「光明寺」さん
実はこちらのお寺には、歴史的なお話しが数数ある。
時は戦国時代。400年以上前のことです。
この地には、津久井城というお城がありました。
伏馬田城との中間に位置することから烽火台として、この山が使用されていたらしいです。
北条家の監視城の役目ですね。
そこへあの信玄率いる武田軍が群をなし、戦にやってくることになる。
三増合戦。戦いの帰り道。
真っ暗な道。
足元を灯す提灯300を用意するようにと、武田軍の家臣が
光明寺の住職に命令をしたそうだ。
貸せぬ!
ここは、北条様の庇護のもと暮らしが支えられていることから
住職さまは、断固として忠義を通した。
怒りに打ち震えた武田軍
「ならば!こうしてくれよう!」
山全体を松明代わりに焼いてしまったそうだ。
時は戦国時代に突入するわけです。
光明寺は幾多の試練を重ね、
この地にお寺が再建されたという。
義理人情に厚い住職さんがおられたという逸話です。
山の上から見下ろす景色。
時は令和3年。
コロナ禍・・・少しだけ景色がぼんやりして見えますね。
byスーさん