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光明寺の義理人情に厚い住職さんの逸話。2021.02.16

2/14 墓参りドライブ

 

コロナ禍での自粛生活が続く中、
幾度となく訪れた場所。

父と母が眠るお寺「光明寺」さん

実はこちらのお寺には、歴史的なお話しが数数ある。

時は戦国時代。400年以上前のことです。

この地には、津久井城というお城がありました。
伏馬田城との中間に位置することから烽火台として、この山が使用されていたらしいです。

北条家の監視城の役目ですね。

そこへあの信玄率いる武田軍が群をなし、戦にやってくることになる。

三増合戦。戦いの帰り道。

真っ暗な道。
足元を灯す提灯300を用意するようにと、武田軍の家臣が
光明寺の住職に命令をしたそうだ。

 

貸せぬ!

ここは、北条様の庇護のもと暮らしが支えられていることから
住職さまは、断固として忠義を通した。

怒りに打ち震えた武田軍
「ならば!こうしてくれよう!」

山全体を松明代わりに焼いてしまったそうだ。

 

時は戦国時代に突入するわけです。

 

 

光明寺は幾多の試練を重ね、
この地にお寺が再建されたという。

 

義理人情に厚い住職さんがおられたという逸話です。

 

山の上から見下ろす景色。
時は令和3年。
コロナ禍・・・少しだけ景色がぼんやりして見えますね。

byスーさん